石橋寿恵子インタビュー
聞き手 間野律子
「こーらー だーめ チャルおすわり いいこ」
8月19日木曜日 レッスン後石橋寿恵子先生宅にて。時刻は夜10時を過ぎ虫の音が心地よく響いている。先生の愛犬チャルも一緒に席につき(一瞬)ゆったりとインタビューは始まった。
―まず一番最初に、いきなり本題ですけど、なぜ今回ゴーギャンをテーマに作品を考えたのでしょうか?
去年の7月に日本で初めてゴーギャンの描いた『我々は・・・』のボストン美術館からのあの大作が日本に来て、そのことは日曜美術館とかいろんなテレビで特集してて、 あー観たいなとは思ったんだけど。その特集の方の日曜美術館と、この間みんなで見た浅井慎平とかが出てたあの番組を見て、なんて・・すごい絵なんだろう ていう あの・・絵の持つ力。?で自分はそのときばたばた忙しくて美術館まで行けなかったんだけど心に残ってて。それから9月に芸術劇場がとれて、さて 次のテーマは何にしようか・・で、ずーっと毎日何となく11月くらいまでかけて考えてて、ふっふっと頭に浮かんで来たのが、どういう訳かぽっとゴーギャンの『我々は・・・』の絵が私の頭の中にバーンときて、きっかけはテレビ番組だったんだけど あ、あの絵・・、私のテーマに近い・・・。と。私のテーマというのは、戦争と平和とか地球と地球を取り巻く環境とかいのちとか、人はなぜ生きてどのようにうまれてきてどのように死んで何になっていくのかっていうのがずっとテーマでもあり、それは今からさかのぼること17年前からで。その頃私にも転機があって、私のテーマはこれだ!と。でそこから何作品か作って来て。
― 一番最初の作品というのは・・・?
『The Earth 今、地球へ熱い想いを踊る』っていう、まあその中には、ちょうどその頃サラエボの内戦とかあって。なぜ戦争があって、なぜ理不尽な死に方をしなきゃ行けない人たちがいて、で誰が戦争を起こしてその結果どうなって・・・でそれはその命が奪われる最も大きな環境破壊が戦争だなっていうのと、自分らが吸ってる空気や、水や、どんなふうに自分自身が無頓着によごし・・・人間ってすごくさ生きてることが奇跡だと思っているんだけど、私自身が生きてることも奇跡で生かされていて命には限りがあって・・・ただそれが本当に幸せに生を全うできるひとがどれほどこの世の中にいてしかも 例えば水俣病にしろ、もっともっと真綿で首を絞められるような環境汚染にしろ あと地球温暖化にせよ、私たちが日々暮らしてる中で自分らも壊しつつ、それから大きなものに動かされつつ、その仕組みの中で自分はいったいこれからどうやって生きてったらいいんだろうか。生きていく上で私はどんな力になれるんだろうかってことがずっとぐるぐる巡って来てて、それは若い頃からあるんだけど特に病気をしたときにがーっと自分の中で一回回っちゃったというか。それでいろんなことが自分の中で今までいろいろ考えたり行動して来たりして来たことが、やっと一つにまとまって、まあ47、8歳で。遅ればせながらんだけど。でそれまでダンスをみんなと一緒にやって来ていろんな作品を作って来たんだけど、その中にもそういう兆しはあったんだけど、でもその『The Earth』を作ったときにはっきり自分の中でテーマが決まり、それが1994年だったんだけど、そこから16年。それからEarth-Beになってから「オオタカ伝説」、「The leafいのちのロンド」をつくり、そこではま、いのちの循環っていうのを描いたし、3つ目が「H2O」。これはまさに水がテーマで、水の惑星地球で、一部はまさに戦争の中で生きる・・ちょうど湾岸戦争とかアフガン侵攻・・The Leafを作っている最中に9.11が起こって、そしてそのあとイラク戦争も起こり泥沼化して続いているという・・でその流れの中でなぜゴーギャンかというと、やはりもっともっともっと人間の根源的な、我々はどこからきて、我々はいったい何者で、どこにいくのかっていうのが、もっと宇宙的な目でみれるかなと思って。
―今までの作品を振り返ると、実際の出来事からインスピレーションを受けたり、ベースにすでにストーリーがったり(例えばいそっぷやThe Leaf)・・・それらと比べると、今回のように絵から作品を作り出していくというのは、より深く探らないとできない難しいことだと感じたのですがー。
ゴーギャンのイメージっていうのはいわゆる日本人にしろ一般的に受け止められているのはゴッホの耳切事件から連想されるように傲慢で自分勝手でわがままでゴッホをあそこまで至らしめたみたいな、悪者ゴーギャンとしてわりと描かれていた訳だけど、 だから私もその程度しか認識はなかった訳だけど、ただ前に、スピーキングオブドリームスっていうジョーンバエズが歌っている、オオタカ伝説の一部でも振り付けしているんだけど、その歌がものすごく好きで、その中に一言二言ゴーギャンのことがでてくるのよ。で頭の中に歌詞がずっと引っかかっていて。ゴーギャンと黄金色の肌...、それまで、今回みたいにまじまじとじっくり絵を見ることはなかったんだけど、ゴーギャンていうとなんとなくぼんやりとタヒチの女たちの絵っていうイメージくらいで、それがいったい芸術性とか絵のもつちからとか、そこまでね...今回ね、取り組みだしてから、ゴーギャンを知るにつけ、うーんすごいんだなって。一見すると彼の絵っていうのは、いわゆる、うまいなーこの絵って感じじゃなくて、やっぱりじーっくりみないとわからない、よさ。その熱帯の島の持つ土着的な力とか空気感とか女たちの仕草から彼はいったい何を描こうといているのかとか。それを深く見れば見るほど、見つめれば見つめるほど魅力を感じていった。私が20歳そこらで衝撃を受けたのはレンブラントなんだけど、ゴッホとかも好きだったし。でもだからゴーギャンは私の中でそれほどなかったのにも関わらず今回見れば見るほど入れば入るほどすごいぞこの人って。
―どこらへんがすごいぞって思いますか?
うーんやっぱりね、写真で描けるもの以上の、ま、写真家はそうじゃないっていうかもしれないけど、写真で描けない内面の人間の持っているある一瞬を切り取ったものとか。その人自身も気づいていないようなものをこうグーッと切り取っている力っつーの、それと、それを見つけ出す目っていうのかな、それは並外れて個性がある。誰もやってこなかった、これだっていうものを彼は常に探し求めていったんだろうな。それが、やっぱりタヒチまで行かせたんだろうし。だから彼を突き動かせていったものが、見れば見るほど絵から立ち上ってくるというか、そこがすごいな。と。この間オルセー美術館展があって、今までも出会ってるはずなのにきっとすらーっと通って来て、ほんとにまじまじとこの間9点くらいきてたものを間近でみて、筆遣いとか...もうサインみただけで泣けたからね。感動して。なんでサインでこんなに感動したんだろうっていうと、やはり自分の想いが、あそこに、サインを見た瞬間に、この一年間くらいの想いが投影されたからだと思う。ふつうだったらそんなことは起きないと思うけど。
―なるほど、それだけ今ゴーギャンにとても近づいているところで作品作りをしているということだと思うのですが...。ゴーギャンは理想の楽園をタヒチに夢見た訳ですが、実際はタヒチには思い描いたような姿そのものはなくて。でもだからゴーギャンの描くタヒチの絵には、ゴーギャンの夢がとても込められているように感じるのですが、そのなかでも特に強い意志をもった絵を先生がダンス作品としてピックアップされているように感じるのですが。どのように作品作りは進まれましたか。
今度の第1章から12章まであるんだけど、プロローグは、ほとんど、最後が頭にきているっていうような作品。「我々は..」を描くきっかけとなったアリーヌの死というのが頭にきてて、そこからさかのぼって、パリから脱出してタヒチに行って描いた絵のタイトルそのものなんだけど、その一つ一つの絵を私たちが丁寧に見つめ、そしてその見つめたものから踊りまでトランスレーションするというか、写し取るという訳ではなくて絵からもらったエネルギーを踊りにしてみる。だから一枚一枚の絵からものすごく愛着を私自身が覚えているし、最後の『熱情』の曲に乗った『我々は...』の絵が浮き出てくる場面なんかでは、自分自身もこの踊りを作り終えたら、自分をすべて出し切った。くらいのエネルギーで取り組んだし、で、そして最後満身創痍になって身も心も、すべてを芸術に捧げた彼の人生そのもののような、自分自身ともだぶる。作り上げていく過程は。それで私自身にとっても、もう年齢的なものも体力的なものもゴーギャンの晩年...やっぱり本当に身も心も脂の乗り切った時期はもう過ぎているっていう風に思うし、その中で、燃えかすではなくて本当に自分が力の限り、もうあとないぞってくらい取り組んで、初めてゴーギャンに近づけるんじゃないかな。で、ちょっと近づけたかな...。でそれはゴーギャンが人格的にどうのこうの言われてるんだけど、それを全部肯定するって意味じゃなくて、だって例えばこんな人が自分の旦那だったらとか思っただけで、まあ楽しいこともあるだろうけどしんどいなとか。一緒に暮らしたらどうだろうとか(笑)けどやっぱり彼のすごさっていうのはあってそこを見ずして、簡単にゴーギャンって言うのは不遜な男だって切り捨てちゃったらそれまでよで。やっぱり彼があれだけものを描き、本も出し、手紙もかき、まあ半分以上は突っ張って、二度とパリには帰らないっていう最後の最後までいろんなことに抵抗し戦い抜いて絵を描き通して死んでったっていうその壮絶さ。そこはやはりあの絵をのこすことはあるなあっていう。とにかく強い。孤高の旅人ってトルシエ監督もいってたけど。ほんっとに人間としての弱さはいっぱいあったんだろうけど、最後の最後までギブアップしないあのエネルギーは...どっからきたんだっていう。やはりそこは学びたいというか学び取りたいっていうか。自分もやっぱり最後の最後まで、力つきるまでは・・・あれだけ突っ張っていられたら・・・理想だなって思うね。で自分の行ったことに対して、まず『俺はこうやるぞー!』って大風呂敷広げてあとからやることがついてくるみたいな(笑)でもそうすることで自分をかきたて、最後の最後まで孤独に耐えて生き抜いた芸術家って言うのは・・・やはり芸術家 芸術に身を捧げちゃったんだなって。だからやっぱり今回はそういう芸術とのクロスオーバーと言うか、ジャンルを超えたね。でやはり踊りと音楽。踊りと絵画あるいは踊りと文学って言うふうにいろんなクロスオーバーがあるけど、絵って言うのは一番おどりにとって近いんじゃないかな・・・。私にとっては彫刻が一番近いんだけど。でも絵から学ぶ、絵の構図とか、描かれている深いところと踊りって言うのは、絵もほら動きがあるじゃない。いろんな動きが。だからそこからすごく学ぶことがあるのよ。例えばレンブラントから学ぶのは群衆の描き方と言うか、群衆の中で光が一番当たっている、この人を主人公にして描いたんだよって言う、群衆がいっぱいいる中で観客の目をそこに釘付けにしていくやり方と言うか。光の当て方とか。踊りを作る上では触発される。こんな絵画を踊りにしたいなとか。そういう意味では、『我々は...』の絵はやはり群像なんだよね。動物その他入れたら20とか。今回最後にあの絵を再現してみるんだけど我々は41人なので人だけでなく山や木や川になったり(笑)
―ではちょっと話題をかえて。今回のアスビーの皆さんはどうですか?
今回のメンバーは前回のイソップの時より若者が増えて一番下が16歳で。だから上と下がちょっと広がった。でそれはね、押し出されて若い人だけが残るんじゃなくて、年齢を経た人たちもその素敵さというか、その人たちにしか出せない味わいや深さがある訳で、幅が広がった分表現の幅も広がったかなって言う気がしてて。ま今回参加して来た人たちの一般的な踊りのキャリアと言うか、そういうのは、まったくの初心者がほぼいなくて、長く続けてきたひと10年とか30年とか(笑)つまり私がダンスを教えだしたときから育って、その後そのこが子どもをうんでその子どもが参加して・・・。まあだからキャリアが長い人たちも多いし、踊り心がある人たちだし、そういった意味でもいい顔ぶれが揃ってるなと感じるし、みんなまじめで熱心だし、面白い層もいるし(笑)エネルギーのある人たちが多いし、いいなと思う。ただそれだけで終わっちゃうとつまんないんで、できるだけ今までやったことのない新しいジャンルと言うか、新しい世界の中に皆が飛び込んでいってもらえたらな、そういうところも一緒に開拓してもらえたらなという思いは最初からあって。で、私の場合は一番最初に教えだしたのはジャズダンスってことでもちろんジャズダンスから始まってるんだけど、もうジャズダンスの枠は何年も前からはみ出ているし、自分の中ではジャズダンスという枠にとらわれない、何ダンスかわからないけれど、とにかく観てくれるお客さんとともに、現代を生きている人たちとともに、息づいていられる。一緒に共感し合ったり共鳴し合ったりわくわくしたり深い悲しみにいってもらったり怒ってもらったり...観る人抜きには考えてない。やはり私の振り付けの中で一番大きいのは見てくれる人がいて...そして一緒に作る踊り手たちがその中に入り込めないようじゃ絶対面白いものは作れないから、まず、踊ってる本人たちが、悲しい踊りでも苦しい踊りだったとしても、踊ることが楽しいー!って思えないようじゃこりゃ失敗だなって(笑) 最初のうちに比べたら、イソップとかゴーギャンはメッセージ性ってとこで言ったら奥に引っ込んだと思う人もいると思うんだけど、私自身も、メッセージって言うものが本当に表に出さなきゃ行けないこともあるあろうけど、奥にあればあるほど、それはあとでいかようにも、観た人、また踊った人の中に、10年後20年後30年後ってふうに心の中で あれはなんだったんだろうとかあれはなんかすごかったなーとか。ふっふよね。直裁なメッセージじゃなければないほど、沈んでいればいるほど、感じられるものかな。と。だからもっともっと自分の中ではより深く、いきたいなあと。ま、願い。ですよね。
―今までプロのカンパニーを作ろうと考えにたことはないんですか?
うーん。私の場合は、一番の大元はミュージカルの振り付けをしたいって言うのがあって、それがスタートだったんで、世に問うものはやはりミュージカルという舞台で問いたい..問いたいというか、振り付けをしたい!て思ったのがミュージカルで。それで、踊りだけのカンパニーを作るっていうのは難しいし、できるならそういうのもよかったかもしれないけど、やはり二兎は追えない。それでそういうのは自分で仕事をつくっていかなきゃいけない。でそのためのエネルギーと言うか、自分には常に目の前に次から次やらなければいけない他の仕事があったから、ダンス専門集団を作り上げてって言うエネルギーも時間もなかった。まあそれが現実かな。けど劇団にいた頃って言うのは自分に与えられた仕事、ミュージカルの振り付けをするっていうのをやって、で私はその時点では自分がやれることはすべてやったなっていう気がして、それで劇団を辞めたんだけど、やっぱりあのみんな踊り手っていうよりは役者で、今は踊って歌えて演技もできて ていう訓練をした人はいるけど当時にそんな劇団はどこにもなかった。劇団四季もその後だったし。しかもオリジナルのミュージカルというよりは輸入したものをやってて。ほんとのオリジナルの日本のミュージカルはそれほどやってなかったし、興行的にそれでいけるってとこにはいかなかった。
―おかげで私たちは先生の元に集まれたというか、やはり誰でもウェルカムな先生でいてくださって本当によかったんですけど(笑)あとだから尚更、ダンス好きや舞台好き以外のお客さんも来てくださってるから、逆にパフォーマーも観客も広い層に舞台の魅力や先生の世界を体験できてるので逆にすごいなと。
うん。やっぱりね、普通に暮らしている人の持つエネルギーこそ いのち なのよ。だからスーパードリームダンサーの時代にせよアスビーになってからにせよ、みんな、普通の人たちであるから、あのエネルギーも出るし、新鮮な感性って言うのもすごく大事だし、私もそれにどれだけ助けられてここまで来たか知れない訳よ。だから、自分がこういうのを作りたいから作るんだぜ!ってところからスタートしてないというか、この人たちがいるからできるんだっていう。この人たちが、こんなことをやったらすごいぜ!てところまで生かせたい。だからいつもそこにいる人たちでつくってきた。だからこちらからそれこそオーディションしてあなたはこっちあなたはだめ とか今まで一切していない。呼びかけて、しかも一緒に普段レッスンしてて、その人たちの持つもの、やる気やエネルギーがあるからこそここまでやり続けて来れた。だから私自身が独りよがりなものは作りたくないと思っているし、自分だけ、自分の思いだけやって、お客や踊る人そっちのけでやってはね。作れなかったというか作らなかった。だからこそここまでこれた。だからSDD のころ5回公演して、まあ最初の頃は発表会に毛が生えたようなので(笑)で、Earth-Beになって6作品やって、やはりこれだけ20数年も続けてこれてしかも毎回満員で赤字も出さずにやってこれたってことは、次へのエネルギーを作ってったし、みんなのエネルギーに依拠してったからなのよね。だからこれがこの指とまれ式で、もし少数性でやったとしたら、悪くはないだろうけど、続かなかったろうし、このよさもやっぱりでない。チームワークっていうか、あれはー宝物。だからそれは私がやれなくなったとしてもみんなが引き継いでいってくれると思うし、そのことへのもっともっと優れたものを作ってってくれるって言うのを信じて、走ってっているというか。そこへ橋渡ししていけたらいいなと思うからこそ、石橋寿恵子中心のまあカンパニーみたいなもんなんだけど、だけどとても緩やかな集団で来れたというか..。で同時に人も育って来たって言うのが、私にとっての財産かな。
―今回の作品は今の段階でもう完成はみえてますか?
うん。みえてきたよ。今日で一ヶ月前なんだけど、見えて来たと思う。みんなの、踊ってる人たち自身が作品の全体像を少し見えて来たと思うし。
―最後のエピローグのシングルドロップオブユーははじめからイメージがあったということですが
うん。やっぱり100年のときを経過して今の人間がそれを受け止め、それぞれに悩み苦しみ喜び、やはり未来につないで渡していくっていう、そういうイメージとしては、single drop of you だから、あなたからのひとしずく だよね。 だからあなたっていうのはゴーギャンで、私の場合はね。で、あなたからのひとしずくを私たちが受け取って、でその愛を、自分たちの糧にしていくと言うか。
―そういえばタヒチ実際にいってみてどうでしたか?
タヒチはほんとは1ヶ月くらい行きたかったんだけど、時間がなくて1週間がやっとだった。移動時間入れたら正味4日間。ゴーギャンの最後の地にもいきたかったんだけどいけなくて、ボラボラ島にいって。まあとにかく行ってみなきゃだめだ!と思って。空気だけでもすってこようって。一般的なイメージしかないんじゃだめだな。で行って、 こことあそこに行ってあれとこれは見てこなきゃ!っていうふうに駆け足だったんだけど、やあっぱり違った。行ってみるのと行かないで写真や本で追っかけるのとぜんっぜん。あれで1ヶ月いればもっと深く見れたんだろうけど。でも四日間でも、この作品に必要なことは最低限取材できたし、空気も感じれたし、海にももぐったし(笑)空からもみたしゴーギャン縁の地は一通りみれたから。で、タヒチアンダンスも見たんだけど、まあそれはね、一つのショーであってそのものを描こうとしている訳ではないから振りには一切いれてないんだけど、それでも、ああこんな人たちがこんな衣装を着て踊るんだってのはみれたし、それがあるのと空想の中で振りを考えるのでは違っただろうなあ。でふつうにみんな裸足だったりパレオも来ているし、タヒチ語を話す人もいるし。あと匂いね。ついたとたんいい匂いがするのよ。ティアレの花のい?匂い。いってよかったなあ。ゴーギャンも、島を愛して、島の人を愛情を持った目で見てたんだろうね。
―では最後に先生の今後の夢など...。
夢..うーん今はね、これもそうだけど自分に与えられた仕事が再来年まで決まっちゃってるので、それをともかく精一杯取り組むのが自分の使命かなと思ってるし、だからその先の夢って言うのは、もうちょっと悠々自適になりたいなって言う(笑)今のこの半年間のストイックな生活はそんな長くは続かないから。やはり緩んだ時期もないと(笑)ただまあ夢はね、あれもこれもしたい。思いっきりこんなこともしたい とかね。いっぱいあるんだけど。まあやりたいことがいっぱいあるって言うのは自分のエネルギーのもとかなあ。自分が生きてるっている以上、やりたいことはいっぱいある。これが終わってしばらくは遊んで、遊ぶことで吸収して、その栄養がいまちょっと足りてないんで(笑)それを吸い込んだらまた次なにか浮かぶかもね。私の場合は常に、こういうものを作りたいから、今度こういうのをやろうよみんな!ってのはあんまりないのよね。今回のも捻りだして。やんなきゃなーと(笑)...だからどっちかって言うと職人なのよね。与えられたことにともかく職人的に、天才肌じゃなくてこつこつとみんなの期待を裏切らないために毎日毎日階段を誠実に一歩ずつのぼっていってると言うか。一生懸命登っていったら、最後みんなと一緒に頂上に行けたなっていうさ。そういうタイプ。自分からみんなついてこーい!っていうんじゃなくて。だからほっとくといつまでもなんもしない(笑)まず大風呂敷を広げてみんなやるぞーって自分を追い込まないとやらない。ただね、自分の力のなさと言うか、組み立て方とか自分なりにこれだけやってきてんだからノウハウとかあるはずなのに、いっつも振り出しなのよ。つねに。どの踊り作るときも振り出し。蓄積の上からはじまらない。まあ、蓄積の上から始まるとそんなものになっちゃうし。だからいつも一から苦しんで。山を登るがごとく。こつこつと行ってんのかな。だから今は夢というか地獄のように(笑)追い込んでるかな。だから普段どれだけ栄養ためとくかとか大事なんだけど。まあ暇になってもろくなことしなそうだからほっとかないでほしいけど(笑)